JAL NAVIA RECRUITMENT 2019

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一人ひとりの物語

EPISODE 6

かがやく笑顔に
照らされて。

木村 夢香 YUMEKA KIMURA

旅客営業サポートセンター PGC室
2013年入社/経済学部 公共・環境経済学科 卒

ずっとやりたいと思っていた仕事。

2016年夏、ブラジル・リオデジャネイロで行われたウィルチェアラグビーの試合を、私は自室のテレビ画面に張り付いて見入っていた。激しくぶつかり合う車いす。しなやかなパスワーク。この競技をそれまで観たことがなかったが、瞬く間に虜になった。日本代表は見事勝利し、初のメダルを獲得した。銅メダルを首にかけられ喜び合う選手たち。私の表情も心なしかほころんでいたと思う。

それに、特別な思い入れもあった。主にお体の不自由なお客さまの相談窓口を担っているプライオリティ・ゲストセンター(PGC)のパラリンピック担当として、選手団の渡航を全面的にサポートしていたからだ。「私のサポートで、銅メダルが取れたんだ」。飛躍した考えだと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。本当に、本当に、嬉しかった。

話はおよそ一ヶ月前に遡る。直属の上司に呼び出され、ある決定事項を言い渡された。「およそ一ヶ月後に開催されるリオパラリンピック選手団の渡航を、私と一緒に取りまとめてほしい」。2015年11月、晴れてPGCに異動後、初のビッグプロジェクト。迷いはまったくなかった。二つ返事で「やります」と答えた。

私がJALナビアに入社したのはPGCの存在があったからだ。大学の卒業論文では「バリアフリーと公共交通機関」をテーマにした。研究する中で、これからは障がいの有無に関わらず、誰でも公共交通機関を使って移動できる社会が必要とされると確信した。就職面接でも「いつかPGCで働きたいです!」と面接官に伝えていたほどだ。ずっとやりたいと思っていた仕事ができる。そう喜んだ矢先のプロジェクトだった。

「選手たちの活躍する姿が見たい」。その一心で。

しかし、上司から渡された資料を見ると、唖然としてしまった。一便に何十名もの車いす利用の選手が搭乗するとなると、確認事項が多すぎるのだ。選手一人ひとりの障がいの症状を細かく把握、座席の調整や機用品の手配、空港・客室への引き継ぎ……。一瞬たりとも気が抜けなかった。それに、すべてのやりとりを相対ではなく、電話とメールで行う。自分の言ったことがちゃんと伝わっているのか。この進行で果たして出発日までに各種手配が間に合うのか。数え切れないほどの不安があった。しかし、少しも苦に感じなかった。「選手たちの活躍する姿が見たい」。その思いが私の背中を押してくれたから、どんな困難でも乗り越えられる気がした。

出発の日を迎え、無事選手団がリオデジャネイロに到着したとの連絡を受けると、いすの背もたれに力の抜けた体を預け、「よかった」と一人つぶやいた。

五輪閉幕後に行われたウィルチェアラグビー日本大会を観戦するため、パラリンピック前にJALスポーツアンバサダー(※)となった私は千葉ポートアリーナを訪れた。

試合開始のホイッスルが鳴り響き、試合が始まる。あの夜、自室の画面に張り付いて見入っていた試合が、目の前で繰り広げられた。選手名簿を見ながら、東奔西走したあの頃の記憶一つひとつが色あざやかに甦る。試合終了後、選手たちに挨拶する機会があった。日本代表の選手が、控え室から車いすに乗って現れる。
「JALの木村と申します」。緊張で声が震えた。
「いつもありがとう。リオで銅メダルを取ってこれたよ」
その無邪気な笑顔は、私の苦労の一切を吹き飛ばすくらいかがやいて見えた。

※JALグループから選出した11名の社員により結成されました。スポーツ全体を応援し、盛り上げるとともに、誰もが利用しやすい社会、配慮の行き届いた社会の推進を目標としています。

COLUMN

わたしにとっての「世界最高のコンタクトセンター」

お客さま一人ひとりにとってベストな対応が取れることだと考えています。大切なのは、たとえ困難なご要望をお客さまからいただいたとしても、「できません」の一点張りではなく、他の代替案を提案すること。これからも「人として何が正しいか」を常に考えて行動していきたいです。
木村 夢香